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頭でなく、こころで学ぶ

刀根健です。

 先日読んだ本の中でとても印象に残った言葉です。
そういえば、学校で学んだことで覚えていることってあまりないですね。
 記憶にあるのは休み時間友達と遊んだことや部活など・・。

 頭で学んだ事って、あまり残らないのかもしれません。
でも、こころで学んだことはほんの一瞬の出来事でも鮮明に残っているものです。
あのとき言われた「あの一言」、「あの出来事」がずうっと残って、
その後の行動の指針やブレーキになることって結構ありますよね。

 僕の場合もいろいろあります。
 僕は高校~大学時代「理論の刀根」というあだ名を付けられていました。
 自分としては特に何も思っていなかったのですが、
よくよく考えると、感情部分がかなり欠落していたのでは?とも思えます。

 全てを理屈(へ理屈?)で切り分けてしまい、良い・悪い、正しい・間違いの2原論で切り捨ててしまっていました。
 当然、曖昧なことや不明確な感情の部分などは無意識にズバズハッと切り捨てていたような気がします。
そして常に俺が正しい、優れている、という意見を押しつけていたような気がします。

 感情的で曖昧な部分は良く理解できないので、裏を返すと自信が無く、自分の内面さえも見ようとしていなかったことの現れとして、「理論の刀根」ができあがっていたように思います。

 自己防衛のための「理論」での鎧を着けていたということでしょうか。
 TAでいうところの「強くあれ!」というドライバ(=駆り立てるもの)にかなり強く駆り立てられていたように思います。
そして常に自分と相手との間で「上下」「勝ち負け」を繰り返し、
 自分が上であると安心し、
 負けると劣等感にさいなまれ、
 自分が勝つ事でこころの安定を得ていたように思います。

 ※勝てない相手とは争わない!

しかし、このようなこころの状態は常に疲れますし、自分では気づいていないのですが、本当はとても苦しいのです。
だって、常に勝ち続けなければ安心できないし、事実それは無理なことですから。
また、自分が勝ち続けるということは、僕と接した人達は皆負け続ける人になるということですから、
 当然僕と一緒にいても心地いいはずはないわけで・・・。
あ~あって感じです(笑)

さて、そんな僕でも感じないようにしていた感情や、自分の弱さや中身のなさに気づき、
それを認めたとき、肩の荷を降ろしたように「楽」になったのを覚えています。
そこからが、本当の意味での「自分らしい自分」「実感のこもった自分」による
人生の再スタートだったように思います。
27歳の頃だったですかね・・・。

その時、ただただ、足の力が抜けたことを覚えています。10分くらい立てなかったですね。

そういった経験が、この心理学の世界に入ったきっかけとなりました。

 


 心で学ぶ・・

 この経験は間違いなく、その後の人生をも変える力があると思います。
 「心に刻む」という表現に置き換えることもできるかもしれません。



知識では人は変わりません。

 

頭でっかちになるだけで、意味はありません。

 

知ってるつもりは、知らないのと同じなのです。

 

知識を経験というフィルターに通し、自分の細胞レベルまで溶かし込んでこそ、それが智恵に変わるのですね。


そんな経験をたくさんしたいものです。

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